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2015年3月

2015年3月27日 (金)

イノベーション促進に3Mを無くせ

◆世の中、無理、無駄、斑(3M)だらけ

○ 社会は、無理なことだらけ

介護の無理
高齢者が高齢者を介護する
子供が親の介護で仕事を辞める
もっと過酷な例は高齢になった親が若年の子供を介護しているという

女性が輝く社会の無理
要は女性も男と同じに働けということ。
女性の仕事が重くなり、結婚育児がままならず
女性が35過ぎになってからはじめて子供を産みたいと思っても、不妊治療が必要になることが多い。そのため多額の医療費がかかってくる。
保育所不足で待機児童になり、親も仕事ができなくなる
女性は結局、家事も要求される無理

これらはいずれも無理なことである。今日、この無理が社会をゆがめている。

○ 無駄なこと

今の社会で、無駄なことも沢山ある。
例えば、まだ、働く意欲があり働けるのに60歳を過ぎたら、定年退職になり、仕事がなくなること。

障害があるからといって、就労できないこと。障害者が一生施設で過ごすことになると2億円の公費がかかると言う。障害者でもそれぞれの特徴を生かしてできる仕事は沢山あるはず。もし、障害者の雇用があれば2億円の公費負担もなくなり、その上、障害者の労働価値が生み出される。

掘ったり埋めたりの道路工事
今日は水道工事、埋め戻してからガス工事、その後電気工事ですと、掘り返してばかり。

コンビニもスーパーも、賞味期限で捨てられる商品の山

○ 斑なこと

今の社会で、斑なこと
例えば、雇用のミスマッチ。
事務職希望者が押しかけているのに、求人があるのはサービス産業ばかり。

農業を希望する若者がいるのに耕作地が得られず、一方で農村では、高齢化が進み田畑が荒れていくばかり。

一番資金が必要な若者に資金がなく、もう資金需要が乏しい高齢者に資産が偏っている。

東京に一極集中、田舎は過疎化が進むばかり

○ このような無理無駄斑をなくせば、それが大きなイノベーションに繋がるはずだ

2015年3月10日 (火)

イノベーションか戦争か

◆なぜ戦争が起きるのか

この3月来日したドイツのメルケル首相談「もう戦争はないだろうと思っていたのに、ウクライナで戦争が・・・」。

そこで、文明社会でなぜ戦争が起こるのかを考えてみたいと思います。

◆知的野生と暴力的野生

文明社会の秩序に入れない性質が野生です。野生がそのまま発揮されれば、野蛮、野卑にも通じることになります。しかし、文明社会が野生を求めることがあります。それは、出来あがった秩序と枠組みがうまく機能しなくなった時です。既存の枠組みを破壊して新しい枠組みをつくる必要にせまられるからです。その際、既存の枠組みを突破する全く新しいアイデアが必要になります。この全く新しいアイデアが、波及して社会や経済に新しい秩序をつくり上げるのがイノベーションです。
では、もし、イノベーションを起こす新しいアイデアが得られなかったらどうなるでしょうか。
世界は既存の枠組みがどうにも我慢がならない事態にまで進みます。そして、混乱、戦争ということになってしまいます。その戦争による破壊で既成の枠組みが消滅し、新しい枠組みの構築が行われます。過去二回の世界大戦は、この図式でした。
日本では、過去の世界大戦による破壊によって、新しい枠組みが作られ、再生を果したのです。
こう考えると、イノベーションの成否が、戦争を回避できるかどうかに大きな影響を与えているということが分かります。イノベーションは、知的野生の結果であり、一方、戦争は、暴力的野生の結果なのです。

◆現代社会が求めている野生

現代文明社会が求めるのは、知的野性であることは言うまでもありません。ここで、イノベーションは、知的野生が生み出す結果であることに注目したいものです。知的野生が、既成の枠組みを突破する新しいアイデアを生み出し、それが社会経済を変えていくのです。
ところが、このところのイノベーション論議をみていると、科学的知の高度さばかり求めています。そこに野生という要素が欠けています。野生がなければ既存の枠組みを突破する力に欠けることになります。既成の枠組みに飼いならされた単なる知では、いかに高度なものであろうとイノベーションは起こせないのです。
野生という要素が欠けていることが、このところの我が国企業の国際競争力低下につながっているのではないでしょうか。
過去の歴史を見ると、日本の国民性は、既成の枠組みにとらわれやすい特徴があるようです。世界一長寿企業が多い、中には平安時代から続く企業もある。一旦出来た枠組みが長く続くということは、イノベーションが阻害されることを表しています。

◆野生的模倣が日本の過去のイノベーション

日本にも過去二度のイノベーション時代というべきものがありました。一つは、明治維新以降の西洋文明の取り入れ期です。二度目は、太平洋戦争後の復興期以降、1970年から1980年です。いずれも、欧米キャッチアップではないかという批判はあたらないでしょう。見習うものがあれば見習う、唯模倣するのではない、和魂洋才の思想のもと、見事に欧米思想と技術を日本化しています。
ドラッカーが言った。「西欧の日本化だ」と。
イノベーションの理想像としてもてはやされているジョブズの業績も、模倣からの創造なのです。イノベーションは基礎技術から開発しなければならないなんていう縛りはない、出来あがったものの革新性が問われ、それが社会経済を変えていくかどうかです。
1980年以降の日本は、基礎技術からの開発に拘りすぎたために、イノベーションに遅れたということができるでしょう。
イノベーションは結果です。革新的アイデアの普及によって社会経済に新しい枠組みが形成されるかどうかなのです。そこに野生的模倣があります。イノベーションの本質は普及による社会変革にあるのです。
参照 エペレット・ロジャース著 三藤利雄訳『イノベーション普及学』産能大学出版部 2007年10月16日

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