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2013年4月22日 (月)

「三本の矢」の成否は失われた20年の総括にかかっている!

◆アベノミックスの成長戦略に成算はあるか?

20年という長きに渡って、何度もトライしてきた経済成長政策は、うまくいかなかった。そのため、とうともう成長は無理だという悲観論が出ていた。「これからは不利益を分かちあう時代だ」という意見もあったくらいである。

そんな中で、アベノミックスの三本目の矢は、成長戦略に再度トライしようとしている。しかし、これまでの度重なる失敗に、大方の見方は懐疑的である。

筆者は、奇跡と称された1960年から1990年の「高度成長」から一転、「失われた20年の停滞」はなぜ起きたか、それを深く追求することこそ、次の日本の成長に不可欠であると考えてきた。

それにしても、日本の停滞は酷かった。アベノミックスの成長戦略に期待したいところだが、過去20年というもの、自力での成長はほとんどなく、景気がちょっと持ち直すと、それは海外の成長頼みのものだった。ジャパン・アズ・ナンバーワンと褒めそやされた日本経済はどうしたのか。科学技術創造立国を目指したイノベーション策もうまくいっていない。

「失敗は成功の基」ともいわれるが、20年の失敗の総括の中に、今後の成功の基が見つかるはずだと思う。

これまで、日本停滞の要因については、いろいろ考察されているが、このブログでは、改めて視点を変えて考えてみたい。

◆「1990年」に日本の経済停滞問題を解くカギがある

1990年は、筆者が、開発コンサルタントを開業した頃である。その時、サポートしてくれた経済人S氏がいた。S氏は、経済会に人脈があり、幾つかの会社に筆者を紹介してくれた。ところが、その後が良くない。S氏の報告に私はがっかりした。期待していたある最大手の会社の副社長がこう言ったという。
「今時、特許だのイノベーションだなんて、よほどの変わりもんだね」

その頃は、まだバブルの真っ盛りであり、株も土地も上がり続け、企業は好景気を謳歌していた。経営者の関心は、イノベーションの話より、黙っていても増える含み資産に向かっていたのだろうか。それにしても、最大手の会社の有力者がこの認識では、日本の将来はダメになるだろうと思った。

案の定、その後、バブルが崩壊し、失われた20年の停滞が始まった。

◆1990年頃からビジネス変化の加速が始まった

この1990年代の日本は、あいにくバブル期だつた。
バブル期1986年12月から1991年2月までの4年3か月(51ヶ月)間を指すのが通説となっている。バブル絶頂期は1989年(平成元年)ごろで、投資が異常に活発化して、「平成景気」と呼ばれる他に類を見ない超好景気となった。それは、実体経済の成長でどう説明しても不可能な資産価格上昇を伴うバブル経済であった。
経済学的現象としての崩壊は、1991年10月ごろ始まっていたといわれる。しかし、株価や地価の下落は始まったが、楽観的に考え、まだ持ち直すだろうと皆が期待していた。それが、バブル崩壊であるという認識はできずにいたのだ。

バブルの崩壊が深刻な社会問題としてはっきりしてきたのは、1993年ごろであった。株価の暴落、土地の下落、倒産が相次ぎ、失業者が増え、それが社会問題化した。経済学的現象としての崩壊から、何年も経過してから社会問題化したことで、はじめて、我々は、あれが崩壊だったと気が付いたのだ。

◆バブルから覚めたとき日本は時代遅れになっていた

日本が、バブルの崩壊で吾を取り戻したとき、もう世界のビジネス環境が様変わりしていた。技術革新と市場競争が同時化し、しかも国際化したことで、ビジネスの変化スピードが従来にないほど加速していた。日本を経済大国に押し上げた産業の漸進的な進化は、もはや時代遅れになっていたのだ。

1995年に科学技術基本法を策定し、科学技術創造立国を目指した日本であったが、遅きに失した。その上、基礎技術の開発からイノベーションにつなげようというのは時間がかかりすぎだ。世界の加速する経済変化のスピードに対応できなかった。以来、イノベーション未達成、失われた20年という長期の低迷にあえぐことになった。

以来、ビジネス変化のクロックスピードは、加速する一方である。クロックスピードの加速は、日本経済を飲み込む津波のような存在であった。しかし、それに気がつくのも遅かった。

◆あらゆる産業のクロックスピードが一挙に加速

半導体と光ファイバーの画期的新技術は、様々な面で業界全体のクロックスピードを一挙に加速した。この半導体と光ファイバーの画期的新技術は、時代をリードする「情報伝達産業」に導入され、そのクロックスピードを一段と加速した。情報伝達産業は、現代のリーディング産業であって、その新技術は、ほとんど全産業に影響し、中核技術として重要な役割を果たすものであった。そして、あらゆる産業のクロックスピードを一挙に加速することになったのだ。

もう一つクロックスピードを加速する要因がある。それは、「市場競争の激化」である。グローバル化の進展は、技術革新が目覚ましい分野はもちろん、技術進歩がゆるやかで安定している分野でさえも、市場競争の激化はクロックスピードを加速する引き金になった。

サプライチェーンとクロックスピード概念の提唱者である、
チャールズ・H・ファインは、次のように述べている。
「一九九〇年代の政治的、経済的状況は、市場競争の波及に変化をもたらした。政治的には貿易障壁が大幅に取り除かれたことによって、あらゆる産業の実質的な国際化が進んだ。さらに情報技術によって国際市場へのアクセスも簡単にできるようになり、国際化に拍車を掛けた。技術革新と市場競争が同時化、国際化したことによって、経済全体のクロックスピードはかつてないほど加速された。」
チャールズ・H・ファイン著 小幡照雄訳 『サプライチェーン・デザイン』日経BP社 1999年8月9日 

◆日本企業の市場で優位を維持する目論見は潰えた

この経済全体のクロックスピードの加速がもたらしたものは、日本企業が目論んでいた、市場で優位を維持するという考え方を不能にした。継続的な改善活動(TQC)と、持続的イノベーションで、市場競争で優位を維持するという日本企業の戦略はもはや通用しなくなったのだ。
どんな優位を得ていても、それは一時的であり、クロックスピードが加速されるほど、優位を保てる時間は短くなる。

◆変化に弱い日本

日本は、漸進的な進歩で独自の文化を築いてきたという経緯がある。外来の文物を受け入れ、その中から日本に相応しいものを選択し、長い時間をかけて独自のものを融合して、日本化する。受容――選択――変容というプロセスである。
これが、ドラッカーをして、日本は西欧を日本化したと感嘆させたのである。
この日本の創造プロセスは、時間がかかる。つまりクロックスピードが遅いのである。戦後日本を経済大国に押し上げたTQC(総合的品質管理)も、継続改善活動であり、その変革クロックスピードは速くない。

日本は、じっくり時間をかけた変革には優れた力を発揮する。しかし、加速する変化には、日本の変革方式はその力を発揮できない。加速する変化には弱い日本であるといえよう。
そこで、欧米で成果を上げているイノベーションのやり方を取り入れようという動向がある。

しかし、欧米式のイノベーションのやり方は、どうも日本にあっていないようである。イノベーション、イノベーションと様々な手立てをつくしたがうまくいっていない。欧米式の代表は、シリコンバレー式である。しかし、こうした欧米式のあと追いばかりでは、変化の加速に対応しきれないだろう。

◆日本復活のカギはビジネス変化の加速にどう対応するかだ

日本復活のカギは、クロックスピードの加速にどう対処するかということになろう。それには、欧米の模倣・追従でない、日本に最適化したイノベーション方式が求められよう。

以下次号で考察を続けたい

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