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2012年12月10日 (月)

イノベーション亡国に向かう日本/どうする日本(その十六)

◆前号のまとめ

科学技術創造立国をめざして、基礎研究に巨額の資金を投じてきた日本には、科学技術が蓄積され、世界をリードする技術革新も多数なされている。それなのに長い低迷を脱出できない。それは技術革新がイノベーションに結びついていないということだ。

その根本的要因は、イノベーションを「技術革新」と定義してきた認識の誤りにある。イノベーションは「新しいやり方を生み出し新しい価値を創造すること」である。近年この「新しいやり方」が科学技術であることが多かったことから、技術革新がイノベーションと同義語とされてきたのだ。そのため日本ではイノベーションの本質を見失ったのだ。
ここで改めて、イノベーションは技術革新ではないことを認識しなければならない。

◆ここで技術革新とイノベーションの違いを考えてみよう

アメリカのイノベーションの普及過程研究者であるロジャースの『イノベーションの普及』という書籍がある。
ロジャースは、普及学の権威として知られている。その書籍の中で、「イノベーションとは、個人あるいはその他の採用単位によって新しいと知覚されたアイデア、習慣、あるいは対象物である。」と定義している。この定義は、普及学での定義であるが、我々がイノベーションと定義してきた「技術革新」と比べると、あまりにも広い。
さらに、イノベーション発展過程を次のように述べている。「イノベーションの発展過程は、ニーズや課題の認識から始まって、イノベーションに関する調査研究、開発、そして商業化を通過し、さらに利用者によるイノベーションの普及と採用を通過して、イノベーションの帰結へと至るすべての意思決定、活動、影響によって構成される。」「イノベーションの帰結とは、イノベーションを採用あるいは拒絶した後に、個人あるいは社会システムに生じる変化のことである。」

「イノベーションとは、技術革新である」としてきた日本は、なんとも狭小ではないか。
日本では、イノベーションの創造段階の技術革新については様々に語られているが、その多くは開発から商業化についてであり、イノベーションの普及から帰結までのことが詳細に語られることはなかった。
つまり、日本では、イノベーションのアイデアがどのようにして生み出されたか、というイノベーションの生成(イノベーションの創造プロセス)の研究がきわめて重用視されたのだ。反面、イノベーションの普及からイノベーションの帰結という段階の研究は、希薄である。
そのためか、我が国では、実施可能な発明ができただけでイノベーションと呼んだりすることもあったくらいであり、技術革新とイノベーションは同義語とされてきたのが現状である。

筆者は、このイノベーションの認識の狭小さが、我が国のイノベーションを矮小化し、イノベーションがうまくいかないという事態をまねいていると考えて、イノベーションを全体論的視点で研究してきた。

その研究の中で、力になったのが、前記ロジャースのイノベーション普及学である。さらに力づけられたのが、先の安部内閣時代の戦略会議「イノベーション25」の報告書である。報告書では、イノベーションを矮小化せず、広く定義することを提案している。

◆イノベーション25が目指すもの

イノベーションを広く崇高なものとして定義し直そうという考え方は、先の安部内閣時代の戦略会議「イノベーション25」の報告で提唱されていたものだ。

旧来のイノベーションの定義は、技術革新による新製品や新サービスという狭い意味に捉えられてきた感がある。辞書で、イノベーションという言葉を引くと「技術革新」と翻訳されていることが多くあったほどだ。

これに対して、イノベーション25では、イノベーションを、新しい価値の創造と広く定義しようという提案がなされた。そして、「イノベーションとは、技術の革新にとどまらず、これまでとは全く違った新たな考え方、仕組みを取り入れて、新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことである。」としている。
長期戦略指針「イノベーション25 」~未来をつくる、無限の可能性への挑戦~2007年5月25日イノベーション25 戦略会議

◆イノベーション促進に凌ぎを削る

21世紀になってから、イノベーションという言葉が目立って多く使われるようになった。世界規模の難問を解決し、さらに経済成長するためには、イノベーションの促進が欠かせないとして、各国でイノベーション促進に凌ぎを削っているからだ。
イノベーションがなければ、新しい価値は創造されず、世の中は閉塞していくばかりである。今日の閉塞感は、イノベーションが滞っていることのあらわれということができる。
政権が目まぐるしく変わる日本だが、経済成長がなければどんな政策も継続できるはずがない。日本の未来を拓くのも、結局、イノベーションしかないということになる。

そこで、イノベーションを一層促進しようというのが安部内閣時代のイノベーション25という戦略会議だった。

その内閣は短命に終わったが、イノベーションそのものの重要性は少しも変わらず、むしろ益々重要度が高まっている。

その要点は、次の四点である。
①イノベーションの定義の拡大
②技術革新のみでなく、あらゆる物事にイノベーションの考え方を広げる
③社会過程としてのイノベーション普及と帰着にまで概念範囲を広げる

経済学者・経営学者の一致した見解は、イノベーションは難問を解決し、経済成長をもたらすものだということである。だから、バブル崩壊後の失われた20年の間、様々なイノベーション政策がとられてきたのだ。この間、科学技術創造立国を目指した日本は、科学技術基本法のもと、基礎研究にも巨額の資金を投入し、様々なイノベーション促進政策をとってきた。科学技術基本法のもと、投じられた資金は、第 1 期、第 2 期基本計画で 17 兆円と 24 兆円(実質 21 兆円)という膨大な額であるという。『産学官連携ジャーナル Vol.2 No.3 2006』

こうしたイノベーション政策の結果はどうだったか、それは現今の危機的状況をみれば、うまくいっていないことは明らかである。失われた10年が、15年、20年と伸びるばかりである。

うまくいっていないのはなぜなのか。技術革新そのものが不首尾だったというのか? それともイノベーションがもたらすはずの経済効果が不十分だったのだろうか? 答えはそのいずれかということになろう。

以下次号へ。

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