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2012年11月 3日 (土)

成長を止め右肩下がりの転落期に入ったのか/どうする日本(その十二)

◆失われた20年の長過ぎた低迷が国民の意欲を奪う

日本は閉塞感に満ちている。右を見ても左を見ても問題ばかり、その問題はいずれも、ちょっとやそっとでは解決できそうもない難問ばかり。バブル後の失われた10年は、15年、20年と延びるばかり。日本は成長を止めてしまった。
この長い低迷時代を乗り切るために、企業も一人一人の国民も、知力を尽くして様々な努力をなしてきた。しかしいつまでも続く苦境に、だんだん意欲が失せてしまった。無気力が社会を覆い尽くしている。

知力のことを教育学では次のように表現している。
知力=知能×意欲(あるいは知力=知能+意欲)
という簡略式である。

つまり、いくら能力があっても、意欲を失えば、知力が発揮出来ないということである。

いま、一番の問題は、国民の意欲が失われてしまうことである。これでは、日本の知力は発揮できず、その未来は暗澹たるものになる。

産業界では、様々なビジネス教育で、社員の能力アップに必死である。しかし、それで社員の能力が高まったとしても、肝心の意欲がついてこなければ、すべて無為に帰することになるのだ。

日本中に無力感が満ちている。心理学者は、無力感の対極にある感覚が、「効力感」であるという。「効力感」とは、「努力すれば好ましい変化を達成できる」という自信や見通しであるという。

参照 波多野誼余夫 稲垣佳世子共著『無気力の心理学』中央公論新社(1981年1月25日)

日本の長い低迷は、国民の努力を無駄に終わらせ続けた。その結果、国民は効力感が失われ、無力感にさいなまれている。その無力感が、知らず知らずに我々一人一人の「意欲」を奪ってしまったのだ。
この国民の意欲喪失の状態が続くと、無力感は無気力を生み、やがてそれは絶望感になってしまう。こうなると、もう手遅れ、日本の復活の可能性は失せ、崩壊に進む他なくなるだろう。

おそらく、いまがラストチャンスだろう。そのために、今、最も必要なことは、企業家、ビジネス人、国民一人ひとりの意欲を取り戻すことだ。

◆「イノベーション25」よ再び

筆者は、この日本の苦境を脱する道は、イノベーションの促進しかない、と長年研究してきた。その中で、安倍内閣時代の戦略会議『イノベーション25』に大きな期待を寄せてきた。
しかし、その後の目まぐるしい政権交代で、イノベーション政策は影が薄れてしまった感がある。

★イノベーション25最終報告(2007年5月25日)より
「イノベーションとは、技術の革新にとどまらず、これまでとは全く違った新たな考え方、仕組みを取り入れて、新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことである。このためには、従来の発想、仕組みの延長線上での取組では不十分であるとともに、基盤となる人の能力が最大限に発揮できる環境づくりが最も大切であるといっても過言ではない。そして、政府の取組のみならず、民間部門の取組、更には国民一人ひとりの価値観の大転換も必要となる。」

◆「イノベーション25」の復活に期待

安倍内閣時代に立てられたイノベーションについての考え方の基本は、以後の政権の目まぐるしい交代の中でも、変わっていないはずです。イノベーション政策の目標は、「人口減少社会を迎える中にあっても、革新的な技術、製品、サービスが次から次へと生み出され、それが日本のみならず、世界の人々に受け入れられ、その結果、我が国の経済や社会の活力が生み出されることにより、国民が未来に明るい夢や希望を持ち、安心して生活できる社会を実現することができる。」とイノベーション25最終報告はうたっていた。

しかし、今日の現状をみると、経済や社会の活力は生み出されておらず、未来に明るい夢や希望を持ち、安心して生活できる社会の実現は程遠いものだ。イノベーションの技術革新が進んだだけでは解決困難な難問だらけの現実は、好転しそうにない。

それどころか、日本は長い停滞から、右肩下がりの転落期に入ってしまったのではないかとさえ思える。

そこで、いま改めて、最後の切り札のはずだったイノベーションについて考え直す時だと思う。それには、イノベーション25に立ち戻り、イノベーションの本質から考え直す必要がある。

まず考える必要があるのは、イノベーション25でうたっていた、イノベーションを俯瞰的に広く考えるということ。そして、科学技術だけでなく、社会、経済、国民生活全体に「新しいやり方」を考えだすということだ。

◆新しい知のパラダイムとイノベーション

次に必要なのは、イノベーションを、新しい知のパラダイムで捉えなおすということだ。いま私達の生活を支えている全ての製品、全てのサービス、そして世の中のシステムは、人間の知性の産物なのだ。もし、一昔前の人々が現代を見たら知の可能性は無限であると驚嘆することだろう。
私達は、その知性をさらに磨きあげることで、イノベーションを起こし、この危機に立ち向かうべきなのだ。

ところが、肝心のイノベーションと知性とのかかわりは、神秘のベールに包まれた部分が多くブラックボックスの中にある。そのベールを少しでも剥がすことが出来れば、イノベーション促進に繋がるはずである。

そこで、筆者は、イノベーションを生みだす源泉を求めて、数多くのイノベーションの事例を分析し、そこに働く「知性」に着目して研究している。その研究をもとに、次号以降では、日本にはまだいくらでもイノベーションの可能性があること、それが「未来の色を明るくできる」ことを示していきたいと思う。

次回以降、まず、どうしたら、日本人の意欲を蘇らせ、その知力の発揮を促すことができるのかを、BT総研のイノベーション研究をもとに書き起こしていきたい。

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