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2012年8月11日 (土)

福島原発事故と「和魂」/どうする日本(その七)

◆原子力の恐怖は生態圏外技術にある

我々は、いま原子力にいいようのない恐怖を感じている。その恐怖の正体はなんだろうか。それは、原子力が生態圏外の技術であるからであろう。
人類を始め、この世のあらゆる生命を育むのが生態圏である。あらゆる生命は、この生態圏で生態系を形成し生きている。
科学は、生態圏を人間の外にあるものとして客観視し、当然のようにコントロールしようとしてきた。そして、生態圏を必要な資源を取り出すための対象として見てきた。つまり科学は、経済と結びつき人間の欲望を満たすための手段となった。そして、その欲望は留まるところを知らず、とうとう、生態圏の外にある原子力にまで手を伸ばすことになった。原子核に中性子を当てて核分裂を起こさせ、原子力エネルギー発生させるという原子力発電を支える技術は、科学が行き着いた最終的段階といえる。

◆生命を育む生態圏を破壊する原子力技術

ところが、生態圏には存在しなかった原子力は、人間のコントロールが効かないし、自然の浄化もできない。つまり、原子力は、私達の生命を育む生態圏を破壊するものなのである。
核分裂で発生した放射性物質は、近寄っただけで人間を殺傷してしまう。その放射線は、何十万年も放出され続ける。人間はこの放射線が低くなるのをただ待つだけである。だから原子力発電の廃棄物は、地中深くに何十万年も厳重に隔離しなければならない。しかし、そんな隔離に適した場所は日本国内では見つかっていない。
こんな原子力に恐怖を感じるのは世界中皆であろうが、特に日本人は、より強い恐怖を持つ理由がある。それは、日本人が意識下に持つ「和魂」である。
日本人は、日常の生活から習慣、物の見方考え方、社会・国家の成り立ちにいたるまで、西欧とは異なる大和心を元に構築してきた。日本人は、自然界いたるところに神性を見出し、崇拝の対象となしてきた多神教である。そこでは、人間は自然の一部であり、自然と人間は一体なのである。自然の中に人間があり人間の中に自然がある。
日本の古代世界において人間と自然は共通の生命の中で互いに対応しており、人間と自然の分離がなかった。人間は自然の一部であったのだ。これが和魂の奥底にある考え方である。
ところが、原子力は生態圏外の技術であり、決して人間と一体化して考えられない。だから和魂に混乱が生まれ、そこからいいようがない不安が生ずるのだ。

これに対して、「洋魂」は、一神教から生れ、自然と人間と神は乖離している。人間は神からゆだねられて自然を支配する存在となる。やがてその科学は、経済と結びつき、それを自分たちの欲望実現手段とみるようになった。だから、生態圏外にあり人間と一体化できない原子力も、普通の科学技術にしか見えないのだろう。そこから生れる恐怖心は、他の科学技術のそれと本質的違いはないのではないか。

◆原発は科学技術の間違った利用であることを訴えるべきである

広島長崎の原爆被害を受け、今回福島原発事故を被った日本は、いまこそ自らに潜在する「和魂」を呼び起こし、生態圏外技術である原子力は、科学技術の間違った利用であることを訴えるべきであろう。

それと共に、「自然を支配するものとしての人間」の行きすぎを正し、「自然の一部としての人間」「自然と共生する人間」という考え方を世界に広げていきたいものである。

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