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2012年6月

2012年6月24日 (日)

どうする日本(その四)成功原理を再構築しよう

◆このまま西洋化路線を進めることが本当に日本の復活につながるのか?

ドラッカーは「日本が行なったのは西洋の日本化だった」と言う。だから成功した。これが他の非西洋の国々がなし得なかった日本独自の近代化路線だった。

参照 P・F・ドラッカー (著)上田惇生訳『歴史の哲学―そこから未来を見る (ドラッカー名言集)』、ダイヤモンド社 (2003/10/3) p.1~2

この路線を端的にあらわす言葉は「和魂洋才」である。それは、明治維新以来、今日に至るまでの我が国の基本であり、成功原理であった。精神性は伝統を保持し、技術や制度などは西欧のそれを模倣するということである。
これに対して、常に反対意見があった。「西洋化は、こうした折衷策ではうまくいかない」「西洋文明は、西洋の精神性という根っ子から生える幹、枝、葉などの総体であり、根っ子を除いて、枝葉だけを取り入れたのではうまくいくはずがない」というものであった。
このことについて、江崎玲於奈は、以下のように述べている。
「19世紀後半、西欧の高度な機械文明に接した日本は'その強大な力に感銘し、西欧技術のノウハウを速やかに導入して日本の工業化を計りました。しかし、何と言っても西欧文明は日本人にとって異端の文化です。そこで日本の伝統文化との衝突をやわらげるために、和魂洋才(JaPanesesPiritand Western learning)
という方式を推奨し、日本人のアイデンティティーを守ろうとしたのです。こうして西欧文明は日本に入ってはきましたが、決して融合することなく、日本人のあらゆる生活の側面で和風と洋風の二つの文化が共存することになったのです。しかし、この共存からくるカオスが、メトロポリス東京の多様性を生んだことも事実です」

参照 江崎玲於奈著『創造力の育て方・鍛え方』講談社(1997年2月7日)p.190 

◆和風と洋風二つの文化の遭遇が創造力の源

この日本人のあらゆる生活の側面で和風と洋風の二つの文化が共存すること、そして、そこからくるカオスが日本人の創造力を生み出してきたということを忘れてはならない。
これが日本の成功原理であったのだ。
日本の明治維新以来の成功、とりわけ、1960年~1980年にイノベーションが輩出し、世界第二の経済大国にのし上がったのは、和魂洋才という成功原理のクライマックスであった。
イノベーションの源泉は、「異との遭遇」にあることが知られている。当時、その異の遭遇が、日本国内いたるところにあった。日本人のあらゆる生活の側面で和風と洋風の二つの文化が共存することが、類まれな創造環境をつくりあげていたのである。

その後、1990年~今日まで、日本は長い停滞に喘いでいる。そこで、イノベーションを起こすためには、日本人の精神まで西洋化しなければならないという「洋魂洋才」論も説かれ始めた。

しかし、ここで考えなければならないのは、日本の精神文化の西洋化を進めるほど、国内に和と洋の共存からうまれるカオスが少なくなることである。それは、日本独自の創造力の源泉を失うことを意味する。

今日必要なのは、「洋魂洋才」ではなく、「和魂洋才」の再構築なのではないのか。失われつつある和の文化、習慣、風習などを見直し、「21世紀の和の文化」を確立するべきだと思う。

これからのグローバリズムの進展とともに、外来文化の流入がますます激しくなるだろう。その外来文化と、新しい和の文化との遭遇、そこから生れるカオスこそ、次世代イノベーションの源泉となるはずである。

2012年6月16日 (土)

どうする日本(その三)日本の成功原理はもう通用しないのか?

◆「西洋を日本化した」日本人の底力

デミング博士の教えをもとにして、これを日本文化に適合したTQC(総合的品質管理)に昇華した日本人の底力を思い出したい。
それは、まさにドラッカーの言う「日本が行なったのは西洋の日本化だった」であろう。
歴史上、ほとんどあらゆる非西洋の国が、自らの西洋化を試みて失敗した。ところが日本は、西洋を模倣する西洋化を試みなかった。ドラッカーは「日本が行なったのは西洋の日本化だった」と言う。だから成功した。

黄 文雄著『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』
p.157~160 徳間書店(2011/5/31)

P・F・ドラッカー (著)上田惇生訳『歴史の哲学―そこから未来を見る (ドラッカー名言集)』、ダイヤモンド社 (2003/10/3) p.1~2

これが日本の底力なのだ。
ところが、グローバリズムの荒波の中で、日本のTQCが限界を見せてきた。そこで、日本は新しいマネジメント手法の導入に躍起となってきた。ブレークスルー・マネジメントの時代だ、或いはイノベーション・マネジメントだなどと言われて久しい。しかし、長く続く停滞は、こうしたマネジメントがうまく機能していないことを示している。

◆ここで、懸念されることがある

それは日本文化はイノベーションに向いていない。日本国民一人ひとりの意識改革が必要だなどといわれていることである。『イノベーション25』の中間報告では、国民一人一人の意識改革がなされなければならないことが書かれている。(p.51)

・「組織主義」から「個人能力発揮主義」へ
・「内向きの競争」から「世界との競争と協調」へ
・「自前主義」から「開放・協働主義」へ
・「失敗を許さない社会」から「失敗を活かす社会」へ
・「石橋を叩いて渡る文化」から「スピードを重視する文化」へ
・「同じ価値をもつ者の集まり」から「異との出会い、融合機会の増加」へ

また、『これまでの日本社会は、「ジェラシーの文化」、「行き過ぎた結果平等」、「横並び主義」などといった言葉で表現されてきた』とあり、その大転換が求められることが示唆されている。(p.6~7)

参照『イノベーション25』中間報告(2007/2/26)イノベーション25 戦略会議

「西洋文化を取り入れつつも、日本文化に適合させた新しいものをつくり上げる」という明治維新以来の「日本の成功原理」は、もはや通用しなくなったのか。
いよいよ、これまでの日本の成功原理である「西洋の日本化」から、「日本の西洋化」へという大転換が進められているようである。
しかし、この大転換が、なかなか進まないというのが現状であり、それが長い低迷の大元にある根本要因であろう。このまま西洋化路線を進めることが、本当に日本の復活につながるのか?
日本の西洋化は私達に何をもたらすのか?
日本には他に進むべき道はないのか?

以下次号で考えていきたい。

2012年6月 5日 (火)

どうする日本」(その二)本当は凄い日本の底力

◆日本の奇跡の時代1960年~1980年に日本再生のヒントがある

1960年~1980年は、日本にイノベーション企業が輩出し、奇跡的な高度成長を達成した時代だ。この時代をもう一度見直すことが日本再生のヒントになるはずだ。
この時代に、当初欧米諸国から「日本は欧米先進国の技術を模倣し、ダンピングで成長した」といいう謗りを受けていた。しかし、その後、20年という長きに渡り続いた成長で欧米諸国の見る目が変わってきた。この欧米諸国の見方の変化について、分かりやすく書かれているのがジョエル・バーカー著の『パラダイムの魔力』である。同書の中に、面白い設問がある。
一九六二年に「メイド・イン・ジャパン」と書かれた製品をみたとき、(アメリカ人)はどんな印象をもっただろうか。というものである。設問に対する解答例は以下の通りである。

1962年の日本製品の(アメリカ人)の評価例
  クズ
  ありきたり
  安物
  低品質
  信頼できない
  ローテク
  ブリキ缶
  野暮ったい
  二流
  まがいもの
  安っぼい
  二番目の選択
  間に合わせに買うもの
  粗悪品
  ものまね
  三番目の選択
  模造品
  おもちゃ
  どうでもいいもの
  ちゃち

現在(1990年この書が刊行された頃)同じ設問(「メイド・イン・ジャパン」という言葉から連想するもの)に対する解答例

1990年頃の解答例
  高品質
  先進技術
  高い信頼性
  世界で一番
  精密
  一流
  優秀
  欠陥ゼロ
  低価格
  世界のリーダー
  コピー
  第一の選択
  洗練
  画期的
  お買い得
  ハイテク

参照 ジョエル・バーカー著 仁平和夫訳『パラダイムの魔力』日経BP出版センター(1995年4月10日)

同じアメリカ人による二つの解答例は、全く正反対である。これは、1960年から1980年の日本に起こったイノベーションによる劇的変化を反映している。日本人は、意外にこのことを知らない。現代の若者に1960年から1980年の高度成長のことを話したとき、
「イノベーションといっても欧米キャッチアップでできたんだ」
「一昔前の成功体験だ」
などという冷えた答えが返ってきた。
筆者は、「本当に当時の日本は凄かったんだ」「それは欧米キャッチアップなんてものではなかった」ということを強調した。

今日、日本が行き詰りを見せる中で、その当時の日本がなんで凄かったのかということを明らかにすることが大切だと思う。それが、自信を失いかけ衰亡に向かう日本を甦らせる力になるはずである。

◆デミング博士とTQC(総合的品質管理)

1960年から1980年の日本の奇跡的成長に、デミング博士(W・エドワーズ・デミング)のことを忘れてはならない。彼は1950年から日本の企業経営者に、設計、製品の品質、製品検査、販売などを強化する方法を伝授した。デミングは、日本が高品質製品を製造し経済力を高めるのに多大な貢献をした。

それとともに、デミング博士の教えをもとにして、これを日本文化に適合したTQC(総合的品質管理)に昇華した日本人の底力を思い出したい。
デミング博士は日本人に、品質管理と継続的改善のパラダイムを教えた。日本の産業界は、これを忠実に実行する一方、QCサークルというパラダイムをつくりだした。これは日本の品質管理の父と称される、東京大学の石川馨教授の提唱である。教授は、日本における品質管理、特にTQCの先駆的指導者の一人である。
さらに、そのほかにも数々の経営の革新があり、日本企業は経営と生産の新しい方法を、日本の文化的伝統に適合させていった。

参照 QCサークルとは
職場内で小グループをつくって、自発的に品質管理活動を実践していくこと。この小グループを「QCサークル」と名づけた。1962年、石川馨教授のもと『現場とQC』誌が創刊され、難しいと思われていたQCをやさしい形にして現場へ導入した。石川馨教授は、「品質管理は教育に始まり教育に終わる」との名言を残している。

(以下次号へ続く)

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