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2012年5月 7日 (月)

原発事故は臭いものに蓋式の発想だ

◆原発事故は科学的思考の限界ではなかった

2012年4月29日(日)夜10時nhkETV特集『世界から見た福島原発事故』を視聴した。
これまで、原発事故は、科学的思考法の問題であり、限界であると考える向きもあった。つまり、科学的思考をもってしても想定できないような事象がおき、原発事故が起きたとするものである。
具体的には、科学的思考の「想定を超える大津波」の来襲であり、原発の「想定外の全電源喪失」であるというのである。科学者と政府関係者がこの想定外という言葉を一体何度使ったことだろうか。
今回の事故が、いかに想定外中の想定外であったかは、原子力安全委員会が、事故以前に出していた報告書で分かる。
それは、原子炉の核燃料が溶け出す「炉心溶融」など原発のシビアアクシデント(過酷事故)への対策をまとめた報告書(過酷事故対策の報告書)である。79年の米スリーマイル島原発事故などを受け、原子力安全委員会(現・内閣府原子力安全委員会)が92年に作成を推奨。起こりうる可能性が極めて低く、設計段階で考慮していなかった事態に対しても、対応手順や対策を求めた。電力各社は報告書を国に提出し、当時の通商産業省(現経済産業省)や安全委もこれを了承したという。
その中には、
「シビアアクシデント(過酷事故)は、日本の原発では起こる確率は限りなく小さい。だから考慮しなくてもよい。」と明記されていた。

国は各社の報告書を了承していたほか、設計段階の国の指針でも電源を長時間失う事態を「考慮しなくてもよい」としており 電力各社が発電所への外部電源や非常用ディーゼル発電機の電源機能を長時間失う事態をいずれも想定していなかったという。

◆これは臭いものに蓋式発想ではないか

今回の原発事故で、電力会社と国双方の想定の甘さに各方面から批判が出ている。しかし、甘いのではなく、臭いものに蓋ではなかったのか。
『万一の重大事故に対策するとなると、莫大な資金がかかる。その可能性は低いから、ここは「考慮しなくてもよい」としておこう』ということだろう。つまり、起こる可能性が小さい重大事故は「臭いもの」扱いされていたのだ。

◆原発事故は、科学的思考法と科学技術の責任ではない

さて、こう考えてくると、科学的思考法に問題があり、その限界だったという言い訳はできない。事実、スイスやアメリカの原子力委員会では、『万一の重大事故に対策する
こと』を真剣に考え対策していたという。その思考法は、「技術は万全ではなく、常に改良し、より安全を追求し続けなければならない」というものであった。
もう一つ注目すべきは、アメリカの発想であり、「万一、原発で重大事故が起きるとしたら、それはどこでどんな事故なのか」という考え方だという。その結果、すでに、最も深刻なのは、全電源喪失であるという結論を得て、対策もしていたのだという。
これに対して、同じ科学的思考を使っているはずの日本が、「シビアアクシデント(重大事故)は、日本の原発では起こる確率は限りなく小さい。だから考慮しなくてもよい。」として、蓋をしてしまったというのは、驚くべき失態であった。
これは科学的思考そのものの限界ではなく、日本は科学的思考で追求すべき安全についての考え方を、経済合理性で歪めていたのだ。

アメリカやスイスの原発に対する科学的思考と安全性追求の状況を知るにつれ、改めて、日本の貧弱な思考が情けなくなった。日本もアメリカやスイスの考え方を学び、安全性についての科学的思考を抜本的に改める時である。それが、原発再稼働にあたり何より先になすべきことであろう。

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