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2011年5月13日 (金)

原発事故の放射能汚染を生き抜く力

◆何がどう違うか放射能汚染の不安

放射能は何が怖いのか? と問うと、「姿が見えない」「空気、水、食物など全てを汚染する」「微量でも長い年月かけて人体をむしばむ」などという答えが返ってくる。

しかし、同様に微量でも人体に有害な物質がある。環境ホルモンと呼ばれる環境を汚染する化学物質である。環境ホルモンは、極微量でも生体内に取り込まれた場合、その生体内の正常なホルモン作用に影響を与える。現在約70種類の化学物質が、環境ホルモン(内分泌撹乱物質)の疑いをもたれ、報告されているという。
代表的なものにダイオキシンがあり、廃棄物の焼却によって環境中へ放出され、大気、水、大地に拡散している。
その人体へのリスクは新聞雑誌テレビ書籍などのメディアに取り上げられ,健康被害への不安が広がっている。

さて、こうした環境ホルモンの恐怖と、放射能の恐怖では、何がどう違うのだろうか。実は、微量の放射能汚染のリスクは、環境ホルモンのリスクと大きな違いはないように思われるのだ。

しかし、今回の原発事故の放射能・放射線パニックは、環境ホルモンの時と明らかに異質である。それは何故なのだろうか?

そこで、以下に放射能汚染の恐怖を生みだすモデルを示してみよう。

図1は、今回の原発放射能漏れで、微弱レベルの放射線を長期に受けた時についてである。問題は、それが人体に、影響するのか、心配ないのか、専門家でも意見が分かれていることである。専門家の中には、全く心配ないと言い切る人がいる一方、長期的にガンのリスクが高くなると指摘する人もいる。

図2は、微弱な放射線についての当局の発表の仕方である。理解困難な数値の後で、常套句のように「直ちに健康に影響しない」がついている。その意味が我々にはピントこない。
「今は大丈夫だが、将来は健康に影響する」なのか、或いは「いまは健康に影響ないが、将来はどうなるか分からない」のどちらかなのであろうか。

Image4

それを調べようと専門書を見ても杓子定規の説明しかない。そこで、放射能漏れの事例に答えを探そうとすると、結局チェルノブイリになる。過去にNHKスペシャルが二度に渡ってチェルノブイリ原発事故の特集を放映している。ところがその番組内での放射線についての評価が、調査機関によって、極端に違っているのである。

10年の節目のNHKスペシャル(1996年放映)
『チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染』
番組では、悲惨な状況を伝える一方、IAEA報告について、住民の健康被害については、「将来、癌または遺伝的影響による増加があったとしても、それは自然の増加と見分けることが困難であろう」ことを紹介していた。

20年の節目のNHKスペシャル(2006年放映)
番組の中で、IAEA報告では「事故で放出された放射線を浴びたことによる死者は全部で60人足らず。健康被害の多くを、被曝の影響とは言えない」として退けたとしている。

一方両番組の中では、、
「子どもたちの甲状腺ガン」
「大人たちの脳・記憶障害」
「白血病の増加」
「それらに端を発する自殺者の増加」
「汚染土壌にて栽培された農作物を長年食し、縮まる寿命」「事故処理員たちの脳・精神障害(放射性物質の脳内蓄積)」
など危機的現実を報告しているのである。

一体、この両極端をどう理解したらようのだろうか。我々はとまどうばかりである。

こうした違いがある理由をあえて考えると、次の1~3のようになるのではないか。

1.IAEAは事故を過小評価しようとしている。
2.チェルノブイリの現地報告が過大評価なのである。
3.個別的健康被害は、高レベルの放射線障害以外分からない。長期に低線量の放射線を浴び続けた健康被害は、自然の増加と見分けることが困難なのである。

◆最大の問題は理由3にある
10年以上数十年後に発病した個々の患者について、それが放射能によるものだと断定 することは困難であるという。つまり放射線を浴びなくても発病したかも知れないというのImage5_6  だ。病巣には、これが放射線の長期被曝の影響だとする痕跡はないのだという。
そこで、多くの研究では、集団を捉えて、その集団が他の集団より有意的に、発病者が多いかどうかで判定しようとしている。ところが、その集団の取りかた(条件付け)が困難なのだという。そのため、今日になっても説得力のある結果が得られていないという。

当局発表での「直ちに健康に影響しない」は、こうした背景から出てきた言葉のようである。放射線を受けて1年以内に発病したならいざ知らず、長期低レベルの放射線を受け続けた場合については、確認しようがないというのが現状のようである。

◆10年後の未来にどうなるか分からない不安
例え原発事故がこのまま収束したとしても我々には不安が残る。つまり、チェルノブイリのように、10年、20年と経過していったら、我々の身体はどうなるのかということである。

◆放射能のことを知らなかった不安
原発安全神話の中で我々は放射能について教えられることなく、その知識を持ち合わせてこなかった。
原発反対派は「絶対の安全」を求め、国と電力会社は「五重の安全装置がある、絶対安全だ」と主張してきた。そのなかで国と電力会社は情報を隠蔽したり、リスクに対する備えを怠ってきた。つまり、原発に事故はありえないとしてきたから、万一の事故に対する備えがなく、当然、国民は、事故の起きる可能性も、事故の際の放射能の知識も持ち合わせてこなかった。

こうした中で、すべてのバックアップがきかないという事態が起きた。これは、安全管理上は当然に想定しておかなければならない事態であった。ところが、その体制ができておらず、対処不能となったのだ。

放射能汚染を想定してこなかった国も、電力会社も、国民も、右往左往するばかりである。いま放射能に対する不安は恐怖に変わった。

◆対策と知識の有無が放射能と環境ホルモンの違いだ
環境ホルモンなどの環境汚染については、国の政策、マスコミ報道、書籍などで国民は十分知らされてきた。
ところが、放射能汚染については、想定されてこなかったし、国民はその知識を持ち合わせてこなかった。そこに突然の、放射能汚染である。にわか発表、にわか報道、これを受ける国民は、にわか勉強である。

◆まとめ
第一の放射線の不安恐怖の要因
原発絶対安全神話の中で、放射能汚染の想定がなされておらず、国民は放射線について知識を持ち合わせていなかったことである。国民は放射能の「にわか発表」、「にわか報道」にとまどい、それが不安恐怖に変わった。

第二の放射線の不安恐怖の要因
微弱(低線量)放射線を長期に受けた場合の身体への影響について、信頼すべき情報がない。微弱な放射線を浴び続ける我々が、10年後の未来にどうなるか分からない。不安はつのるばかりである。

第三の放射線の不安恐怖の要因
情報隠ぺいの不安である。原発事故の真実が発表されていないのではないか、実態はもっと深刻なのではないかという疑念が常につきまとう。

◆情報公開だけでは意味がない
政府とマスコミは継続して放射能・放射線の知識を国民に啓蒙し続けることである。それは地道な努力であるが、それ以外に方法はないといえよう。

我々はこれから長く放射能・放射線とつきあわねばならない。その知識を学びとり、放射能に過敏過ぎず、鈍感過ぎずに生きていける力をつけることが肝要であろう。

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